以前から不思議と感じることがあった。それは、飛鳥時代約120年間に、なぜ2つの都を造ったのか?
完全に個人の見解ではありますが、以下の天武天皇と皇后様(のち持統天皇)の何気無い会話のやり取りで、都を飛鳥京(伝飛鳥板蓋宮跡)から藤原京へ移したのでは、と想像しています😊
天武天皇の皇后様 (のち持統天皇):
「ここの土地は落ち着いていて良いけど、山がそばにあり、狭くない?」
天武天皇:
「そうかな...」
皇后:
「もっと働いて、広い家に住みましょうよ!」
天武天皇:
「そうだな...」
もちろん私の冗談な作り話ですが、その現場に立つと、本当に飛鳥京は、山里で狭いんです!そして、肉眼で見える3キロ先の、広い土地に移ろうとしたような気がします。
そして、それが二人の
「夢」
で、最後持統天皇が成し遂げたのだと思います😁でも、その3キロが、当時は本当に遠かったのでしょうね!(奈良に移住してくるまで知りませんでした)
四方が広い藤原京 ⬇️
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